Laundry

風呂は心の洗濯

演劇に救われているということ

真夜中、Twitterでなんとなく呟いた

というツイートが我ながら気にかかってしまった。

そういえば本当に変だな、と思ったので、これを機に、自分の演劇についてふり返ってみることにします。

これまで私と関わってきてくれたすべての人、ってわけでもないだろうけど、いや本当に、皆、出自わからないですよね、多分。

どこの誰だ、何してきたんだって。

私もよくわからなくなってきたし、わからないままやり続けるのもまあ、どうかな、と思ったので、てかもうすぐ本番だし、ちゃんと知ってもらおうと思って、重い腰を上げて、本番前にもかかわらず。

ブログを書こうと思います。へへっ

 

 

 

 


自己紹介

 

まずは簡単に自己紹介をば。

 

夏井菜月(なつい なつき)

1999年8月10日生まれの22歳、身長は154cm、血液型A型、低血圧が悩みです。

夏井の部分だけ本名の苗字が好きじゃないので芸名です。

語感の可愛さと覚えやすさが気に入っています。

海に遠吠えという劇団で脚本・演出・役者・制作をしています(劇団員募集してます)。

会話劇が得意分野、と言えるというか会話劇ばっかり出演したり見てきたので、必然的に会話劇が得意だし、好きです。

今週末も会話劇の本番あります京都にて!

詳細はスクロール!(宣伝)

 

普段は音楽を聞き漁ったり、アニメを見たり、映画を見たり、写真を撮ったり、漫画を読んだり、小説を読んだり、バイトしたり、演劇をしたり、しています。

 

そんな感じで本題にれっつごー。

 

 

 

 

 

 

 

中3、どうでもいいから演劇をはじめる。

私が演劇と出会ったのはかれこれ、7年前だろうか。

10年とはいかないまでも、もう既に5年以上経過していることが恐ろしい。

表現は麻薬みたいなものだと思う。

いろんな人に言われすぎて使い古された感性というか、言葉だけれど。

でもそれは本当に的を射ていて、正しくそうなんじゃないかと思う。

 

7年前、15歳、中学3年生、受験生。

中学3年生の冬。

受験シーズン真っ盛りに私は優雅に不登校で、別にいじめとかがあったわけじゃなくて、反抗期の延長戦というか、分かりやすく親に怒鳴るとかはなかったけれど、まあとにかく反抗期、自分の人生そのものに反抗したかったのかな。

こう書くと中二病の延長って感じがあるけれど。

ともあれ、登校日数が足らなくて、行きたかった高校に落ちた。

正直もう、人生どうでもいいなと思った。

 

部活は放送部だった。

小学校の頃、放送クラブというものがあり、私はよく昼休みの放送を担当していた。

自分の声がマイクを通して校内に響くことそのものが面白かったし、小さい頃から声真似とか歌とか、声を使って何かをすることがわりと好きだったのだと思う。

その流れで中学でも放送部を選択した私は、そこでできた友人のおかげで、演技、果ては演劇というものに出会うことになる。

 

友人は、ネットで声劇というものをしていた。

声劇というのは書いて字の如く、声で劇をする。

形式で言えば朗読劇に近いだろう、それのネット版だと思ってほしい。

私も面白そうだと思い、誘われるというよりかは真似をするように、それをはじめた。

そも、声で遊ぶことは好きだったし。

放送という形でアナウンスをすることから、演技をすることに興味が移ったのはこの友人と出会えたからこそだと思う。

 

ネットで出会った人と既成台本を見ながら通話越しで演技をする。

ネットで出会った声劇仲間は大半が素人の学生や社会人で、ごく稀に声優志望や演劇をしている人が混じっていた。

相手がどんな人であれ、イヤホンからの声しか分からない、声しか分からないから、自分の発する音に、相手の発する音にひたすら集中する。

これが対面であったなら、そういったことを想像させるには十分過ぎる体験だった。

 


話は戻り、中学3年生、受験シーズン真っ盛り。

受験勉強片手間に、不登校を極めていた私のもっぱらの暇潰しといえば、声劇だった。

しかしそれにもだんだんと飽きはじめて、物足りなさを感じずにはいられなくて、度々声劇仲間が言う「演劇」というものをやってみたい、きっかけがほしかった。

志望校に落ちた時点で(自業自得だが)、もうどうでもいいな、真面目に生きなくてもいいや、好きなことをやろう、と心の底から思ったから(そう思うと志望校に落ちたこともある意味運命かもしれない)、中2のときクリスマスプレゼントで祖父にねだって買ってもらったPCで、こう検索する。

 

「関西 劇団」

 

そうして検索して出てきた劇団員募集のまとめサイトのようなものに、私は釘付けになる。

通いやすい神戸の劇団を探し、私は連絡を取る。

何かあったとき怖いからと、私に声劇を教えてくれた友人を誘い、2人で向かう(怖いね)。

そこからだ。

そこから、私は演劇をはじめた。

 

一応私の演劇のルーツというか、最初は神戸からはじまっているので、大阪兵庫京都のどこの人ですか?と聞かれたら多分神戸の人。

 

 

 

 

 

 

初舞台、不登校、旗揚げをする。

劇団には高校生とか大学生とか社会人が何人かいて、流石に中学生はいなくて。

でもまあ中学生だから、結構可愛がってもらった覚えがある。

何度も基礎の稽古を重ねて、なんとか見れるようになった春先、私ははじめて舞台に立つ。

 

女3人芝居。

年齢に見合わない役を演じることになる。

正直舞台の専門用語も、演技の上手下手も、右も左も、何もかも分からないまま、必死で覚えた台本通りに本番が進むように食らいつく。

教えてもらった演劇の基礎やノウハウを反芻しながら、観客から今私はどう見えているんだろう、そのことばかりが気になって仕方がなかった。

結果として初舞台の印象はそれほど深くないまま、あっけなく終わっていた。

 

私が高校に上がってしばらくして、その劇団は空中分解していた。

何でかとかそういうことはよく分からないけれど、いや今となってはいろいろと考えることはできるけれど、とにかく気付いたらなくなっていた。

友人とは高校が違ったために、お互い疎遠になってしまった。

演劇とも、高校生活がはじまるのに合わせて一旦、疎遠になった。

 

なんとなく私は演劇をやめる気にはならなかった。

まだ演劇が何たるかも分かっていなかったから。

 

適当に入った市外の高校に馴染むのに精一杯だったが、部活を選ぶとき、演劇部があったにも関わらず私は放送部を選んでしまっていた。

そのときの心境はあまり定かではないのだが、まあ多分、外でやる伝手はあったから、学校でまでやる必要性はないとか、まあそんなようなことを考えていた気もする。

伝手っていっても大したものではなかったと思う。

もし大人しく演劇部に入っていたら、いろんなことが変わったのかなあとか思うけれど、そのときはとにかく経験のある放送部で安定したいとか、そんな感じだった。

そんな考えも虚しく、しばらくして、私はあれよあれよと言う間に高校に通えなくなった。

地元の高校を選ばず、知り合いも友達もいない隣の市の高校に通ったことが大きな要因だと思う。

シンプルに浮いた。

 

普通のこともままならない自分が心底嫌だった。

その頃重なった嫌なことすべてが辛くて、自分のことも、他人のことも、何も信じられなかった。

長く刃を出したカッターを何度も何度も右手首に押し当てた。

その度に、「もし次舞台に立ったとき、腕に傷があるなんて嫌だ」と思ってしまって、結局一度たりとも傷つけることはできなかった。

 

学校は行けなかったから昼夜逆転生活はさも当然のように謳歌できて、夜な夜なPCに向かって今の自分の気持ちをメモ帳に書き込んで言葉にすることが日課だった。

それくらいでしかままならない気持ちを発散する術がなかった。

これが後々脚本を書く時の良いネタになったので、こういう経験のすべてにグッジョブと言いたい。

 

いろんなことが上手くいかなくて、行き詰まって、そうだ演劇がしたかったんだ私はと、自分が自分らしく生きていくための最後の砦みたく、演劇に縋った。

初舞台を踏んだ劇団に出会ったサイトで、私はいそいそと、今度は自分が、劇団員を募集する。

まともに学校にも行けないくせに、と思いながら、演劇ならできるかもしれないと思った。

考えが甘いなーと思いながら募集をかけたら、本当に、本当に奇跡みたいに。

人が集まってしまった。

しかもなんか、悪人とかじゃない。

ちゃんと演劇をしてみたいって思ってる、その最初の一歩に、募集要項を見て、私を選んだ人が来てくれた、奇跡だと思った。

もしくは頭がおかしいと思った。

だって高校生、高校2年生だよ?

よくもまあ、高校2年生が主宰なんていう劇団に飛び込もうと思ったな、でも集まってしまったものは仕方がない、集まってしまったんだもの。

私だって何も考えず劇団員募集をしようと思ったわけではないし、それなりにプランはあった。

ただ、実行するには未成年、ましてや高校生、ありとあらゆる力がないから、大学生とか、大人の力が借りたかった、だから正直、渡りに船だった。

こればかりは運が良かったと言っても全然、まったく、過言じゃないだろう。

でもやっぱり、そのままひょいひょいと劇団旗揚げ、というわけにもいかず。

まあ紆余曲折あった、すごくあった。

長くなるので今回は割愛して。

私はいろんな人の手を借りて、「演劇ユニットハナウタ」を立ち上げることになる。

 

 

 

 

 

 

「第一部・完」感。

ハナウタでは8回、公演を行った(外部上演・短編含む)。

8回すべてで脚本・演出をして、ほぼすべての作品に出演して、かなり忙しかった気がする。

活動するなかでできた劇団の伝手で外部の作品にも出演を重ねながら、私は吸い込まれるように演劇にのめり込んでいった。

 

演劇がうまくいけばいくほど、学校から足は遠ざかっていく。

だって脚本書きたいし、演出考えたいし、セリフ覚えたいし。

いや、学生だろ、学生の本分を全うしろよ、と思いながら、バイトには足繁く通った、稽古にも足繁く通った。

コンビニバイトの最中、品出しをしながらずっとぶつぶつセリフを繰り返していた。

多分高校生の間、ずっと切らさず何らかの稽古をやっていたんじゃないだろうか。

演劇のことを考えなかった瞬間はなかった気がする。

本当に変な高校生だと思う。

 

ハナウタの公演はずっと、責任感で押し潰されそうだった。

自分で書いた脚本がそもそも面白いのかわからない、つけた演出はこれで綺麗に見えるか自信がない、自分の演技は果たして自然なのか、お客さんは呼べるか、面白いと思ってもらえるか、劇団員は楽しいだろうか、つらくないだろうか、いろんなことを、ずっと考えていた。

劇団員がいること、それだけが心の支えだった。

ついてきてくれる人がいる、それだけで、自分のことを信じられた。

 

書き溜めたメモ帳(ネタ帳とも言う)も底を尽きはじめ、信頼していた劇団員も就職や勉学を理由にだんだんと抜けていく。

それはもう仕方がないことで、私には止めようのないことで。

正直に言えばあんまり想像していたことではなかったから、なんとなくいつまでも続くようなものだと思ってもいたし、だから余計に、支えがなくなっていくことがつらかった。

1人になってもハナウタを、演劇を続けていくことがとても恐ろしいことのように思えて、そんなことができるほどの力が私にあるとは思えなくて、ある劇団員が抜けた時点で、この辺が潮時かな、と思った。

でも急に解散するのは違うなーと思って、1年後に、解散することを決めた。

しれっと普通の高校から定時制の高校に転校したおかげで通常3年で卒業するところを4年かけて卒業することになった私の卒業式もあったし。

この定時制の高校に通えたことは人生のよかったことベスト3に入るくらいのことで、これがあったから経歴に「ん?」と思うことは増えたけど、転校できなかったら正直演劇も何もできなかったと思う。

人生無駄なことなんてないよ、本当に。

 

1年という時間を設けて、私はじっくり、ちゃんと恩返しがしたいと思った。

私がハナウタでしたいこと、したかったことは、どこまでいっても自分のためで、私が続けられたのは間違いなく劇団員がいたからで、だから、3年もやってこれたわけで。

ハナウタの作品は、私のままならない気持ちを込めに込めた、私を救うためにあるような話ばかりだったけれど、「夏井さんの今だから書ける話を書いて」と言ってくれた、ついてきてくれた劇団員には感謝してもしきれないし、だからこそ、生半可な終わり方はできないと思った。

 

はじめは軽い気持ちだったかもしれない。

でも演劇があったから私の腕は今も綺麗で、演劇があったから不登校でも楽しくやってこられた、生きてこられた。

だからこれは、ハナウタへの恩返しでもあるし、これまでの演劇への恩返しでもあった。

私がもらってきたもの全部返す勢いで恩返し、そのために、解散公演までの2公演を費やした。

 

まあなんというか、観て下さった人には何だこれと思われかねないなと思いつつ。

最後2公演は演劇のこと、自分の劇団のこと、ハナウタのことばっかり考えて作品つくって、餞にというかね、がんばってきたわけだし。

いわゆる「第一部・完」感?

解散した後は感じざるを得なかった。

でも本当にやってよかった、私の愛すべき青春。

関わってくれた人、観て下さった人、本当にありがとうございました。

 

このハナウタを主宰していた頃、べろべろガンキュウ女にはじまり、うさぎの喘ギとかIQ22とかに出演したりしつつ、制作の手伝いに行ったりもしていた。

この辺はTwitterのプロフィールにあるツイフィールのリンクに飛ぶとざっくり分かる。

そういう流れで京都にもつながりができたのかな。

主宰としてとか役者としてとかで、とにかくいろんな劇団と、人と、知り合いたかったし、技術とか盗みまくりたかったから、こういう機会をくれたすべての人に感謝しています。

こういうのが多分叩き上げのスキル、の部分に該当するところかな。

 

ともかくだ、このハナウタ時代がなければ絶対に、確実に今日の私はいないだろうと思う。

よくやったと思うし、もうちょっと普通の高校生活エンジョイしてもよかったんじゃない?とも思う、結局大学も行ってないから。

大学は大学で今も憧れはあるけど、それよか演劇したいから今はいいです。

ハナウタ、まだTwitterは残ってるはずなので、たまに覗いてあげてください。

私も覗いてみようかな、多分、青春の匂いがする。

 

 

 

 

 

 

22歳、演劇が好きです。

ここまでつらつらと5000文字以上を書いてきたわけだけれど、まあ少しは私の出自みたいなものがわかるといいなと思います。

 

あ、解散してから。

ハナウタを解散してから、ハネオロシとか、ソキュウとか、ぽつぽつ外部に呼ばれて、出演を重ねてきて。

1年も経たないうちに、ふと現場の帰り、ハナウタの頃照明をよくやってくれていた、高校の同期でもある山本くんに、

「夏井と一緒に演劇やりたい」

と言われるわけです。

驚きました、でもまあ面白いだろうしやるか、と、あっさり海に遠吠え、立ち上げてしまいました。

そんな軽いノリか?って言われるとまあそんなこともないんですけど。

詳しくは過去のブログを漁ってみてください。

そんなに前のブログってわけでもないはずです。

 

コロナ禍初期に立ち上げたばっかりに全然活動できてないけれど、そんなこんなで海に遠吠え、第2回公演まであります、第2回公演は夏井の一人芝居で配信限定なので、是非是非お買い求めください、がんばっているので……!(急な宣伝)

 

 

 

で、あっという間に7年。22歳。

私は学生演劇経験はないし、大学生でもない、しがないフリーターで、コネも何もない、ずーっと続けてきた会話劇で鍛え上げたスキルだけが武器と言っても過言ではなくて。

でも、演劇が好きで、今も好きで。

これからも、やっていけたらいいな、と思っています。

海に遠吠え、夏井菜月、いろいろ、どうぞこれからも、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

最後に

せっかくブログをしたためたので、宣伝をば。

次回出演、今週末です。

 

KAC Performing Arts Program 2021/Theater
合田団地『リゾート(なかった青春の末路としての)』

 

作・演出:合田団地

出演:
岩越信之介 尾形柚香 澤田誠 夏井菜月

日時:
9.25(土)14:00/18:00
9.26(日)14:00/18:00

会場:

京都芸術センター フリースペース

詳細:

www.kac.or.jp

 

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1時間40分くらいの4人芝居、会話劇です。

かわいくて可哀想で優しくてさみしい世界観がじんわりと包み込んでくるようなお芝居です。

夏井は、これまでの会話劇で得たスキル全部使い倒す勢いでがんばっています。

集大成と言っても過言、じゃないかも。

だからどうぞ、見逃さないでください。

 

 

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長々とここまでお付き合い下さってありがとうございました。

夏井、これからもがんばるから!まずは今週末!

またね!元気でね!コロナ気を付けてね!

舞台上で、またお会いできますように。